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ALL FOR ONE ONE FOR ALL 自分のルーツです。
みなさん、こんにちは。
埼玉県上尾市にある障がい者福祉施設就労継続支援B型事業所
「てんとうむし上尾」スタッフの石原です。
本日は初めてのブログ投稿になりますので、簡単に自己紹介をさせて頂きたいと思います。自己紹介と言っても、今の自分のルーツになった高校生時代の話をさせて頂きたいと思います。
「新規スタッフの昔の話なんかいりません」というような声も聞こえてくる気がしますが、お付き合い頂けますと幸いです。(笑)
生まれは1963年、昭和38年式になります。小学校から大学まで海がある神奈川県逗子市に在住。でも若い時は、特にサーフィン等の「海」に関わる事にはあまり興味を持ちませんでした。小学校5年から藤沢ラグビースクールに入りラグビーを始めます。高校は当時ラグビー強豪校だった「日本大学藤沢高校ラグビー部」に入部。2年生、3年生でスクラムハーフのレギュラーメンバーとなりました。この高校のラグビー部での経験が、今の自分のルーツに成る程、自分の人生にとって大変有意義な3年間でした。
今は学校での教師の体罰は問題になるご時世ですが・・・・私が高校生の頃はそんな事は全くなく、練習中、監督のM先生に「お前は何度言ったら分かるんよ‼」と言われて・・・まず一発「バチン」と頬にビンタ。「もっと前に出てプレーしろ」とか言われていた記憶があります。とにかく2年生の時は本当に良く怒鳴られました。叩かれました。でもその甲斐あって当時やや気が弱い所があった自分ですが、かなりの負けず嫌いになりました。2年生後半の花園予選が始まる頃は、以前に比べてあまり怒られなくなり、自分でもプレーに余裕が出て来ていました。ベスト8で敗退しましたが、3年生が5名しか居なく10人が2年生のレギュラーの中でチームも強くなって行ったという記憶があります。
3年生の時はレギュラーが10人も残りましたので、お正月の全国高校ラグビー選手権、花園への出場=神奈川県地区優勝を目指して切磋琢磨しました。当時、神奈川県の代表候補は三校あり、自分の高校もその一角でした。新人大会は準優勝しましたが、春の大会で慶応高校に前半大きくリードしながら、風下になった後半に逆転され敗退。その時に課題もハッキリして夏合宿で対策して、いよいよ花園予選に臨みました。初戦は確か120点以上得点して完勝、2試合目も60点以上は得点して失点も0で、春敗れた慶応高校との試合となりました。
結果は「6対4」で慶応高校が勝ちました。当時のラグビーはトライの後のゴールキックは2点でした。先にトライを取ったのは慶応、ゴールも入り6点、その後自チームはほぼ攻め続け、試合終了3分前にトライしましたがゴールが入らず・・・・・その後ノーサイドで試合は終了しました・・・・・
試合が終わって、チームの皆は泣いて居たのですが、自分はなぜかその時は涙が出ませんでした。負けてしまった。負けてしまった。何も考えられず試合会場のロッカールームに向かう時に、「石原、良くやったな。負けたけど凄い試合だったよ。来て良かった。お疲れ様」と声をかけてくれた友人の一言・・・・・自分は涙腺が破壊しました。涙が止まらなくなりました。
花園予選は毎年11月の後半に行います。高校3年生としたら大学受験の大事な時期です。自分もクラスメートの応援は無いだろうと思っていました。けど、仲が良かった友達二人が応援に来てくれていました。友達も受験で大変な時に、わざわざ応援に来て頂いて、勝てなかった・・・・けど友達は「凄い試合だった。来て良かった」と笑顔で言ってくれた・・・・・
本当に号泣しました。崩れ落ちる程泣きました。勝ちたかった・・・・・・友達に申し訳ない・・・・・
試合の翌日は気が入らず、昼から学校に行きました。自分の高校は男女共学でしたが、自分のクラスは男子クラスでした。クラスに入ったとたん、クラスメート皆が「凄い試合だったんだって。行けばよかった。頑張ったな。」皆が自分に笑顔で話しかけてくれました。試合を見に来てくれていた友達が、皆に話してくれたようで・・・・・素直に嬉しかったです。本当に嬉しかった。
自分は既に年齢が50歳代後半になっていますが、今から35年以上も前の事ですが、その当時の事は鮮明に記憶に残っています。本当にこの高校3年間は、今の自分のルーツになった、自分の人生にとってとても有意義な経験をさせてもらいました。特に監督には本当にお世話になりました。ダメな自分を諦めず鍛えて頂き一人前のプレーヤーに育てて頂いた。精神面も強くしてくれた。監督は自分の第2のオヤジです(笑)。また、チームメート、今でもほとんどのメンバーと連絡が取れる仲間です。苦楽を共にしたチームメートも自分にとって宝です。そして応援に来てくれた友達。今では良き飲み友達になっています。
自分達に勝った慶応高校は決勝戦で敗退、しかし当時の慶応高校のメンバーがそのまま慶応大学に進学、大学4年生の時に大学日本一になりました。自分が戦った選手も数名大学で試合に出ていましたので、自分が負けた相手が強くなった事は大学生当時、なんか救われて気持ちになりました。
高校時代のラグビー部の経験が、「チームワーク、連帯感、努力する事が如何に大切か、負けることは許されない、友は宝物」という自分のベースになったと思います。中学校までの自分は本当に気が弱い男の子でしたから(笑)
大学卒業し就労しますが、どの仕事でもラグビー部での経験は生かされているなと、このブログ投稿を書きながら思い直しています。
昨年、「ラグビーワールドカップ」でラグビー人気が復活しました。自分が現役の頃は日本は本当に弱かったのですが、アイルランド、スコットランドに勝った時は、嬉しくて涙腺が破壊しました(笑)
一人は全ての為に、全ては一人為に。ALL FOR ONE ONE FOR ALL。というラグビーで有名な言葉があります。ラグビーは自分を犠牲にしてもボールを繋げてトライをめざすスポーツです。人間を形成する高校生という時期にこのスポーツを真剣に取り組んだ事は、自分の宝物になっていると思います。それが自分のルーツになりましたから。
長文失礼いたしました。ありがとうございました。